2012/05/14 06:50
ちょっと調べ物をしていたら、
ウパニシャッド(奥儀書)、
ヴェーダとか、
『ラーマーヤナ』、『マハーバーラタ』叙事詩・・・、なんとなく、インド方面へ放浪。そして翌日、別な案件で調べ物をしていたら、やっぱりまたここへきた。
きっと何かのご縁かも?
そもそも、これらの言葉の、サンスクリットの呪文のような響きは好きではある。
三蔵法師が旅立った先が何処か?というのは小さい頃には気付かなかったけれど、目指していたのはやはりインド。
さすがに壮大すぎるので、何か読みやすいサイトはないかな?とか、勉強会的なものはないかな?と探していたら、
サイババのサイトに辿り着いた。
⇒ Sathya Sai Organization Japan
引用とかはしません。興味があれば、ご自身でどぅぞ。取り合えず、いくつか読んだ中から抜粋してリンクを挙げておきます。↓
■
シュリ サティア サイ ババ 御講話集
■
シャンカラの不二一元論
■
スタディー・サークル
■
スタディーサークル -変革のための道具- ルールについて
↑このスタディー・サークルについては、普通に人間関係とか、社会生活、集団生活など、当たり前っぽいことが実は出来ていない場合が多いのでは・・と考えさせられる感じで、ルールや注意事項という内容であるにも関わらず、小気味良い。
往々にしてルールというものは、「これは守ってね!」という、少なからず、威圧的な波動が感じられる訳で、実際、注意する側というのは概して、守ってくれないから困っている~とか、いい加減にして!という感情は抑えつつも、やはりそぅいうビームを無意識に発している。
それに、守らせる人と守る人~、イコール、命令と服従~みたいな、そぅいう構図に無意識に反発したい人~という波動もあったりする。
この心理を逆手にとって(とは言い過ぎかもしれないけれど)、「いつも守ってくれて有り難う。」と先に言ってしまうパターンというのもある。
よくスピリチュアリストが、私の出逢う人はちゃんと守ってくれる人ばかり~というポジティブ思考からつかったりもする。でも、それでもやはり、言い方はどぅであれ、その人の世界観に、"守らない人が存在する"という観念で防御的なものが含まれている訳だから幾分微妙に思うこともある。
でも当然のことながら、集団行動などを円滑にすすめる為の約束、合意事項というのは必要になる。それをルール、規則~と呼ぶと、何かネガティブっぽい響きを感じる場合もあるかもしれないけれど、そぅいう波動を抜きにすると、
ネガでもポジでもなく中立に、単に「仕組み」とか、「お知らせ」~で済む訳で、世界に注意事項やルールという言葉がなくなるのは理想かもしれない。
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注意事項やルールのよぅに、何かの制限や威圧的なものに限らず、人の言葉には少なからず誘導や操作を目的とした意図が含まれているもので、人の言葉やサイトの画面からも色々な波動というのは伝わって来る。
ヨイ言葉を並べても、そして誰かと同じ言葉が書かれていても、その誰かと誰かでは伝わって来るものが違う。何より、
真実(本心)の声でなければ響かない。
実のところ、誰でも波動はかなり正確にキャッチできうると思われ、ある種、
チャネリングで、そこは、思い込みのフィルターを外している場合には信頼して良いのだと思うし、逆に言うと、自分も読まれているという自覚も少し必要かも。
そもそもが、言葉を発する時点で、その言葉自体の内容は伝わる訳だけれど、それを信用するかどうか?というのは、言葉だけではいはずで、問題は、
言葉の内容とズレていたりする波動の方だ。
顔で笑って心で泣いて・・・とか、苦し紛れの言い訳とか、嘘とまでは言わないけれど、
言葉とは裏腹な、別な意図、本心というのが付随していたりするし、実際それは読まれている。
チャネリングなどで誰かに自分を読まれたくなくて防御方法を探る人も居るみたいだし、逆に、人の「気」ばかり読めすぎて厄介に思う人も居る。けれど、何れにしても意味があって、解決方法としては霊的成長、精神修行に励むしかないのでは。
読まれない方法を探るより、読まれても気にしない方へもってゆくしかないし(勿論、開き直るという意味ではなく)、ある意味、読まれたくない本心を知っている本人は、既に、解決すべき問題に気付いているのでは?そして、読めすぎちゃって翻弄されて困る場合、やはり翻弄される内容が自己成長のポイントなのではないかと思う。
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2012/04/05 06:32
体外離脱・幽体離脱・・というのは、面白そぅ~と単に興味本位でやってみたくなる人も居るかもしれない。
私がそこに踏み込んだのは偶然・・とも言い切れませんが、そもそも人は誰でも夢の中で体脱しているとも言われるし、
ヨーガや
スピリチュアル探究をしている課程で、
体外離脱も、
チャネリングも、何かの
予知・予言も、
第六感の発達(・・と言うか気付き)と共にやってくる感覚ではないかと思います。
それらの神秘的でエスパー的、サイキックな領域というのは、一旦踏み込むと
全部つながっているみたいで、私に関しては、その領域につながる為・・とも言える、現在行っている
ヒーリングセッションによって開かれた気もしますが、その前から、
額のチャクラ(サードアイ、第6チャクラ)がひらいている~と言われたりしたので、後から思えば、元からその領域へのつながりを感じていたみたいでもあります。
チャネリングや
スピリチュアル的、チャネリング的な洞察、インスピレーション・・というのは、微妙に顕在意識の思考が入り込まないか?とか、キャッチしたものの解釈というのは難しいものがありますが、
体外離脱・幽体離脱の体験というのは、そんな考えや思い込み、信じるものの制限を超えて、
人は肉体だけの存在ではないという不思議な領域を垣間見せてくれるのではないかと思います。
それはやはり精神世界、スピリチュアル探究のオマケのようなイベントで、割に不毛な
瞑想や
自省・内省などの、
精神世界の探究の道のりの途中経過的な指針にもなるような気がします。

さて、私もいくつかとても鮮明な
体外離脱・幽体離脱の体験があります。
ある夕暮れ時、少し暗くなりかかった部屋のソファーでうとうとしていると、目を閉じているのに、その薄暗い部屋を眺めているのに気づいた。きっと、そのまま目を開けたら同じ光景なのではないか?と思われた。
そぅしていると、何か身体は移動を始め、壁をすり抜けて外へ出た。
お向かいの家の上を飛び越え、住宅地を越え、

公園のような緑いっぱいの広場へ着いた。
相変わらず、夕暮れ時の上空からの景色・・・。
方向音痴な私はご近所のエリアマップを把握しておらず、後にたまたま地図を見てふと思って調べてみると、すり抜けた壁の方向へ真っ直ぐ進むと、住宅地を越えたことろに、確かに大きな緑のエリアが広がっていました。
・・・そぅなんだぁ~。地図は要らないみたい?
それに、
遠隔透視、リモート・ビューングだって、細かい地図は要らないし、そもそも私が行っている
遠隔ヒーリングだって別に住所は必要ないし、
だって距離や次元を超える・・・。
インドア派で出不精な私にはぴったり
今さらだけど、普通に不思議だな?・・・と思う。
体外離脱・幽体離脱チャネリングの方法も、
過去世・前世を垣間見る
催眠療法・誘導瞑想的な分野も、最初に書いた通り同じような領域と思われ、呼吸法などの鍛練する方法や、その領域についての感覚というのは一緒の気がします。
体脱は、
明晰夢・覚醒夢で自由に意識的に行動できるようになることを強く意識してから眠る~とか、覚えている夢を記録するというのも効果的みたいです。呼吸法で、その辺りの意識の領域(ゼロポイントフィールド、顕在意識と潜在意識の狭間?)を目指すというのも何をするにも一緒みたいです。
遠隔透視も、体脱も、チャネリングも、ひとつの感覚に気付くと他が芋づる式にやってくる気もしますし、スピリチュアル探究の課程の副産物的な色々について、多角的なアプローチを試みる~というのもいいかもしれません。
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勿論普通に、精神修行というか、人生勉強というか、鍛練も必要ですけれど、
ヒーリングによって色々な感覚を開花される方も沢山います。私も自己探求へ本格的に入ってゆくのはそれがきっかけでした。
もしもはっきりとチャネリングや精霊や天使の言葉のようなハッキリしたものを受け取れないとしても、本人の認識していない部分ではあっても、何かしら新しい領域からの情報の恩恵を受けているみたいです。
方向音痴で地図が苦手で、それに言葉という物理次元の伝達方法もなかなか苦戦し、まるっと三次元的なものへの困難を感じる日々で、
エスパー的なコミュニケーションや
4次元・5次元的移動手段に憧れを感じます。
NHK 『ブラタモリ』 を見てたのですが、今回は明治神宮外苑あたりでした。

前に、体脱で東京タワーを目指して、空撮のような景色を見たことがあります。東京タワーというのは私にはちょっと思い入ればある場所で、そぅいう場所は体脱でも目指しやすい気がします。今度は外苑の、よくドラマで出てくるポプラ並木を目指そう・・・なんて思いました。
興味本位から~というのも全然OKだと思うんですょ。何から入るにせよ、結局人はスピリチュアル探究に向かってゆくのだそうです・・・。
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2012/03/15 07:38
目に見える物、手で触れる物・・・、よく、「物理的に無理!」とも言いますし、思考や行動の選択の元となるのは、その物理的な要因こそがかなりを占めるし、これほど強固で揺るがない実体・事実・現実・・は無いと思う訳だけれど、実のところ、これほど不安定なものはないのかもしれない。
それに、「物理的に無理」というのも、見方が違えば、動かし難いことではないかもしれない。
物のそれ自体の見た目、好き嫌いなど類似した物や過去の経験からの多少の偏見など、直接的じゃない理由も含めて、人それぞれ、同じ物でも考えやイメージは随分と違う。
だから人それぞれのフィルターという歪みを通して見た物を基準にして判断した「物理的に無理!」というものの、更に他の人とイメージの間に開きが出る。
魂の次元ではきっと同じであっても、物理次元では、どうにでも解釈できる。
人は、
純粋に「今」を判断しているのではなくて、
過去の思いをかき集めているのが常だ。
「
この世は幻想(そぅいった人の作ったイメージの集結かも?)」という言葉や、「
身体は傷つけられても心は傷つかない(今という時間に集中すれば、傷ついたと思っているのは過去の事かも?)」というのは、真理の本には出てくるし、いずれは皆がそぅ気付くのかもしれないし、ある部族は「
夢こそが現実」とも言っている(幽体離脱などして、夢で落ち合ったりもすることができる部族。・・・だから、身体・物質ではなくて、魂の方が現実)。
けれど、今のところ、夢の中では誰でも体外離脱しているらしぃということに気付く人は少ないし、魂こそが「現実」と言っても、実際みんな身体があって物体は強固に感じる。
(体脱経験はある意味、人間は肉体だけの存在ではないとか、「魂」というのを信じさせてくれるかもしれない。)
感じていることを無視して、それをスピリチュアル的には幻想だとか、見えない世界だけにリアリティを求めるのは現時点においてはやや現実逃避や、覚醒への特別感というエゴかもしれない。そこに真摯に向き合って歪みのフィルターを超えようとする時に何かが確実に変わるのではないかと思う。
どっちが現実か?というより、身体や家族や友達や、それぞれ違う見方から物理次元を体験しにきた人やその人たちの思い入れや想像の産物や、まだ形にならない無意識も含めた世界の、見えない部分も現実で・・。でも、それはとても不安定で、不確定で、だからいくらでも変更の可能性が秘められている。
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どんな思いも、これから形になるのを待っている。
ACIM 『
奇跡のコース 第1巻/テキスト ―A COURSE IN MIRACLES Vol.1/TEXT―』
(葛藤・恐れ・罪責感・攻撃・犠牲・分離・・・、真理によって心のフィルター、エゴを排除。)
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2012/02/05 12:18
ユニティ(統合)の時代になったとしたら、オリジナリティ、個性はどうなるのか?
みんな一緒くたで、統合されちゃうなんて微妙・・・。昔はそんなことを心配していた。
誰であれ精神世界の探求をするようにできていて、最終的には至高のものへと到達するように運命づけられているらしい。(決定事項!)・・それゆえ、集合意識がその方向へ強まり、ユニティ(統合)へ向かう。
可笑しな疑問かもしれないけれど、統合の時代を望みながらも、本当にそうなったら、仙人や、聡明で威厳のある部族の長や、高名な僧侶や、聖人や、とにかくイメージとしては画一化された、落ち着き払ったお年寄り!
(あまり、エキサイティングな出来事は起こらないか、起こっても動じないイメージ。あまり楽しくなさそうな?)
ステキだけれど、そうなりたい気がしないような?
・・・それもそのはず、其々が其々の人生を色々な角度や配役でこなす訳なので、みんな色々な意味で「違う」訳なのでむしろ、
個性を極めたくて自己探求をする訳ではないのか?・・・それなのに、ユニティの時代で統合されちゃうのはどうなのか?
この世の束の間のステージを自由意思で謳歌すべき、でも結局同じところに辿り着く。
ちょっと何ですかね、不良学生じゃないけれど、決定づけられているサダメに抵抗したくなったり、同じじゃないところへ辿り着きたい~なんて、それこそ物理次元の分離の時代の産物(エゴの特別感)なのだろうか?
普通に考えても、個性=個別で人とは違う感じ、・・それは分離では?とよぎる。
スピリチュアル的なことを探求しはじめてしばらく経った頃は、例えばキリストのコピーのように、みんな一緒になってしまうのか?と(キリストのコピーに成れたらそれはそれで凄いけれど、それよりも)個性はどこへゆくのだ?と、納得ゆかない気分だったし、当時はスピリチュアル初心者なので、上っ面の知識ではつじつまが合わず、
「統合」と相反する「個」の探究のパラドックス・・という感じで、そこが一番引っ掛かっていた。
けれどその後の結論としては・・・
私たちは、
ユニティ(統合)の断片であるがゆえ、
統合のうちのひとカケラずつを其々が持っている、それゆえ個性的~であるし、むしろ物理次元で其々がホントのところの個性、個別の魂の本来の(みんな違う)性格や環境や思想や手段で天命を生き、そのアプローチで、結局同じところへ到達する。
ユニティは、それぞれの個性的な魂、ユニークさの断片の集まり。
全員がジグソーパズルの、違う形のピースを持ち寄って・・・。・・と。
更に後に、バシャールだったか?どこかの言葉にも個性について書かれていたものを見つけました。
むしろ、個性は強まる・・・でOKと。
それでやっと、いいのだな?と確認できた次第です。
結局、物理次元では、社会通念、常識、世間体、習慣で、ある意味統合とも言えるけれど、ユニティの意味ではない方に画一化されたものの中で、個性は「出る杭」みたいに微妙に肩身が狭かったりするが、やはり、そういう決まりごとへの葛藤もまた学習材料のひとつで(・・・葛藤を感じる時点で、答えも既にある)、結局は、
個性、自分、オリジナリティー、ユニークさの探究、そしてその
個性的な魂を体現すること・・・ということでイイのではないかな?と。
自己探求はやはり、別の誰か~ではなく
「自己」であって、分離された「個」であることが物理次元での挑戦なので、それぞれの魂が本領を発揮したら、赤や黄色や紫や、其々が個別の光を放ち、その光が全部合わさって透明になるのがユニティ・・・みたいな気がします。
みんな違っていい・・・とは言いますが、それも、そういう思想で統一という、結局ひとつところにつながる訳で、違う~は、何というか、極悪人も認めるのか?とか、私の言う個性がスピリチュアルに反する非道な方向だとか、そーいう事ではないのはお察し頂けるかと思いますが、念の為もう一度・・・・人は全て大いなる至高への道が決定づけられている!・・・と言うことで。
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2012/01/08 07:51
【感謝】という言葉について考える。
感謝する~ということは確かに幸運を引き寄せる。けれど長いこと私は人が言う【感謝】ということについて少し引っ掛かっていた。それを知るためにスピリチュアル的な真理では【感謝】しなさい~ということを教えるし、何事も、学ぶのは言葉ではなくて経験によるもので、知識として知っているのと体験的に自分が感じるものとの間に少しギャップを感じることがあります。
感謝していないという訳ではないけれど、何にせよ、
自分が誰かや何かから受けたものを返す為の表現というそのもの自体が感謝なのだという気がしている。それをスピリチュアル的に伝える為に言葉にすると、【感謝】しなさい・・ってことになってしまうのではないかと思う。
だから,自然や、周りの人や、物事のめぐりあわせのタイミングや、自分の身体に感謝を送りなさい~というのはやはり真実なのだと思う。けれど言葉によって、【感謝】しなさいと改めて聞くと、
本当に心から感謝しているのだろうか?と考えたり、
何か重大なことが起きないと感謝という言葉を身を持って体験できないのだろうか?とよぎったりもする。
つまり自分はどの程度理解できているのだろうか?という、何かスピリチュアル的なことを学ぶ時に感じる方向性や学習度のバロメーターのような、目に見えず人とも比べられない部分の迷いが誰にでもあるのではないかと思う。けれど、単に言葉自体の表現による迷いであるだけだと今は思う。
そしてそれを言い表す「言葉」自体にも、とても迷いを感じていた。
単純に、リアクション自体が感謝のしるしでその表現と・・・。
例えば、言葉を知らない子供が、おいしいお菓子やおもちゃをもらったり、遊んでもらうととっても喜ぶ。そこで大人は「ありがとうは?」と教える。
「ありがとう」は、あくまでリアクションに付随した言葉だから、
とっても喜ぶ~の時点で感謝の表現・・・。
子供にお菓子を手渡したのが天使や神様なら、喜んだ姿を見るだけで充分なのではないかと思います。そしてそこには、【感謝】されたいというエゴも存在しない。神様は言葉なんて要求しないから、感謝しないとバチが当たる~という言い方もちょっと微妙かもしれない。言葉よりも次々体験やリアクションするだけでヨイのでは?と。
(神様はバチは当てないけれど、自分の意思や表現がめぐりめぐって戻って来る~という意味では、感謝のない表現もまた、感謝できない形で戻って来る~とも言えるので、それも宇宙の法則で正解なのかもしれない。)
逆に、目の前に日本語がわからない金髪の神様が出てきたり、とても小さな子供が何か嬉しいことをしてくれた時、やっぱり言葉じゃなくて、喜びを身体で表現するのだと思います。だから、
体験をもって周りに感謝や愛を教え、同時にそれを表現する自分が学ぶ~ということなのだと思います。(ACIM・奇跡のコース・・
A Course in Miracles)
感謝も愛も、目に見えなくても確かに存在する。真理の書は学びが足りない私たちにもわかる言葉で書かれているし、その時点でのズレや、更に誰かを通して語られたり翻訳する時にも少しの矛盾やズレが生じる場合もある。体験というのは時に言葉よりも多くを語っていたりします。
スピリチュアル思想だとか、キリストの言葉だとか、割に海外の本を読む機会が多いですが、英語圏の言葉のストレートさよりも、言葉の表現が少なめでシャイな日本人というのは言葉よりも元々スピリチュアルな精神に根差していて、それが助け合いだったり、無私の行動というリアクションをもって体現することだったり、感謝の言葉にも「いえいえ、お構いなく、お互いさま~」という奥ゆかしさなど(優越感とかねじ曲がった謙遜のようなエゴは抜きの…)、やはり精神性の高い国なのではないかと思います。
信頼や感謝を体現すること・・・で、日常の生活こそが実践の場!ある時点から、私はあるタイミングについて、絶大な信頼を寄せるようになりました。そしてそれは、それ限定ではなくて、何にでも応用できると思われ、信頼や感謝の表現を通して何かを受け取る経験をすると、より信頼できるのではないかと思います。
***タイミングよい人生を★光と情報のグリッドにつながる***
今や私たちが生きている世界はとても広がっていて、何かを行ってそれが返って来る~というのが見えにくくもある気がします。地方の小さい世界で生きていると、割と単純にストレートに物や意志が回っていることを感じられる時がある。見える「物」だと解り易いけれど、人の意思というのも、見えにくくても確かにめぐりめぐって、そして自分に返ってくるのだと思います。
このアセンションの時代、多くの人が真理に気付きはじめているゆえ、解りやすく学び易い案件よりもむしろ、小さな幸せや些細な日常の諸々の目立たぬ部分からも、
自分が送り出した感謝の痕跡を見つけているのでないかと思います。
☆波動を上げる☆波動に合った新しい経験☆パラダイムシフト☆
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